今天在日本有則消息引人注目

那就是發現最新的真田信繁親筆書信

而且發現的書信還有”信繁”這個名字的花押署名

是信繁在小田原征伐那段時間寫給家臣的書信

這是由長野縣清泉女學院的教授所發現的

上頭有著1590年(天正15年)的年號和信繁的署名

 

這位教授說 目前所知的信繁所寫的文書有20封

其中7封已經獲得確認

這次發現的是信繁二十多歲的史料 

並且也是唯一有署名寫著信繁字眼的文書

 

書狀上的日期 

正是豐臣秀吉滅亡相模國(現神奈川縣)的北條氏之小田原攻征伐那年

1590年的8月10日

收信者名字是”安中平三”

 

根據真田寶物館的資料 真田家有位叫”安中作左衛門”的家臣

所以還需要確認”安中平三”是否就是”安中作左衛門”

 

這位幸運發現信繁真筆書信的教授

是在2015年12月左右 在上田市古書店中發現到這份書信的

並且其中也有信繁的兄長信之(信幸)跟他的長子之間的書信共有十封

 

 

E23-2016-0618-data-1  

 

補充資料:

根據在真田丸中擔任歷史考證的教授今天(0618)的推特內容

丸島和洋教授表示 報上的標題的寫法有問題

這份新發現的真田信繁真跡 並不是唯一有署名的

而是第一次發現 在關原戰役之前所寫的文書上有署名的

在關原戰役之後 信繁也留有其他真跡書信

哈哈 天下的媒體總編都是這樣 語不驚人死不休的下標法

容易誤導讀者的文字 的確會讓不明究理的讀者以為這是信繁的署名唯一真跡

 

 

 

歷史在不斷查證中 會有不斷的演進

所以真田丸的劇作家 三谷幸喜在朝日新聞的連載的最新一期專欄中

就特別寫著標題為: 受到最新歷史研究所支撐 的報導

 

他要特別聲明的就在最後一段:

 

複数の交渉が同時に行われていたことは、あまり知られていないので、官兵衛ファンの方は、信繁が手柄を横取りしたとお怒りかもしれませんが、そうではないのです。描かれていないだけで、ちゃんと官兵衛も頑張っているのです。

 

哈哈 

他說小田原征伐的溝通使者是複數在進行 不過這個不太為人所知

官兵衛的支持者 請不要為了信繁搶了這份功勞而生氣

並不是這樣啦 在真田丸中只是沒有提到官兵衛這段而已啦

人家官兵衛有好好的在努力當使者啦 

 

 

 

milanhime剛好看到 

所以

先貼出來當記錄

想亂亂說再來說

 

 

 

 

 大河ドラマ「真田丸」。今週と来週は豊臣秀吉の小田原征伐。北条氏の滅亡をじっくり描いている。

 今回は時代考証の話。「真田丸」には黒田基樹さん、平山優さん、丸島和洋さん、佐多芳彦さんという戦国史の専門家が時代考証・風俗考証のスタッフとして加わっている。皆さん、その道ではトップクラスの人たちだ。

 正ログイン前の続き直に言って、僕の歴史知識は一般レベル。「賤ケ岳の七本槍(やり)」を六人までは言えるけど、平野長泰が思い出せない、その程度だ。

 そんな僕が書いた台本を、時代劇に精通したプロデューサーたちと時代考証スタッフの面々が、がっちりサポートしてくれる。最新の学説を元に、既成の概念を打ち破る戦国ドラマを作ろうと、皆さん、気合満々。

 僕は台本を書きながら、歴史的に分からないことがあったら、プロデューサーに相談。例えば、関ケ原の合戦の時、石田三成の挙兵の知らせはどうやって真田昌幸に伝わったか。伝令が走ったのは想像出来るが、この時、昌幸は上杉征伐に向かっている最中。どこにいるか分からない相手に、緊急の密書を送る時、当時はどうしていたか。小説なら「昌幸の元に三成から密書が届いた」の一行で済むが、ドラマは具体的なことがはっきりしないと、何も書けない。

 書き上げた初稿を元に、考証会議が行われる。僕は次の回を書いているので、参加はしない。先生たちのチェックが入り、さらにそれを元に第二稿を書く。その作業を何度も繰り返しながら、決定稿に近づけていく。

 ドラマでは真田信繁は秀吉の馬廻(うままわり)衆(いわゆる護衛)を務めている。専門家から歴史の捏造(ねつぞう)だと指摘されたが、これは決して僕の創作ではない。馬廻をしていた事実は、つい最近になって分かったこと。歴史は日々成長している。

 小田原征伐で、信繁を活躍させたいと思った。この戦に参加しているのは確かだが、どんな役目を果たしていたかは、定かではない。そこで、「北条氏政に降伏を促すため城に潜入」というエピソードを思いつく。だが実際は降伏の交渉をしたのは黒田官兵衛。史実は曲げられない。

 官兵衛は秀吉の命を受けたオフィシャルな交渉係。その裏では、徳川家康らも密(ひそ)かに開城交渉をしていたらしい。官兵衛とは別に、信繁は家康の命令で非公式に氏政に会うというのはどうか。考証の先生たちの意見を踏まえ、プロデューサーが考えてくれた。

 では、なぜ家康は信繁に託したのか。そこからは僕の仕事。その前の回で、秀吉の前で信繁と舌戦を繰り広げた、北条の外交担当板部岡江雪斎と、家康の軍師本多正信を思い出す。信繁の知恵と度胸に惚(ほ)れ込んだ彼らが動いたことにしよう。こうしてようやく物語が動き出す。そんな感じで毎回やっています。

 複数の交渉が同時に行われていたことは、あまり知られていないので、官兵衛ファンの方は、信繁が手柄を横取りしたとお怒りかもしれませんが、そうではないのです。描かれていないだけで、ちゃんと官兵衛も頑張っているのです。

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