沒了歐冠....聯賽還在努力階段...看看世界杯消息也不錯,這是上個月的今天(好巧喔!)所收集的情報,蠻有意思的,有空的話再來簡要的翻一翻....因為第一個副標就挺吸引人的....被叫做[ 克羅埃西亞的Nedved]的男孩 他將和國家教練之子爭奪同一個上場的位置. 就像德國的萊曼和卡恩的德國國門之爭,克羅埃西亞(Croatia )這兩位小朋友(Luka Modric  vs  Niko Kranjcar  )其實在國家隊還是新鮮人,不過兩人都極力想要爭取上場的機會. 加上今年的世界杯有新人獎....大家都把注意力放在Messi和Ronny身上,不過....世界杯總會出現黑馬...看球沒事時當個"獵人"也不錯...看看一代新人將要怎麼樣來換舊人...

我哪會知道克羅埃西亞有新人呢....當然多虧日本媒體囉...被分在和日本同一組,很多人可是想要知己知彼的呢! 
先把其中一段翻出來...就知道關心來自何處了....

標題是: 
讓克羅埃西亞世論一分為二的青年雙雄
クロアチア世論を二分する若き両雄 
Luka Modric  vs  Niko Kranjcar 

克羅埃西亞的名門...Dinamo Zagreb(ディナモ・ザグレブ)的練習場,是建造在從Zagreb的中心街道搭車約十多分鐘的郊外,位於Maksimir(マクシミール)體育場的旁邊.
接受西方資本建造的綜合型體育設施的開放,最近讓市中心的街景逐一的改變風貌,不過在Maksimir(マクシミール)的周邊,現在彷彿還和舊蘇聯時代一樣,殘留著所謂的東歐風情.對我個人來說,這是我喜歡的地方. 練習場的球場,有些地方還看得到積雪,這也顯得好東歐喔! Dinamo的球員們穿著藍色的球衣在泥濘當中拼命的追著球.

我拿著照相機,一直聚焦在一個年輕球員身上.在被人鏟球時,就好像人會飛出去似的,有點靠不住的體格,要說他是運動員,不如說他外觀上有著比偶像明星還漂亮的大眼睛.在每次向前衝時,就會激烈飛揚起來的濃濃金髮,簡直就像古早的少女漫畫中才會出現的青年呢!

       Luka Modric, 1985年9月9日生,20歲. 是該國前U21國家代表隊的隊長,現在在Dinamo擔任前腰的10號選手. 他在今年3月1日在瑞士舉行的克羅埃西亞vs阿根廷的友誼賽中,才第一次的代表國家隊上場,現在在克羅埃西亞國內是最受注目的選手,自從知道在六月舉行的德國世界杯, 日本將和克羅埃西亞對戰之後,有非常多的日本媒體來到這裏訪問,不過對於這個...代表國家隊出場記錄只有一次紀錄的小伙子,抱持著執著關切想法的人,至今仍只有我一人而已.

或許大家對於這位Modric ,只會覺得他是新冒出頭來少不更事的小朋友,很無奈的是這是日本多數人對他的印象.不過對於當天實際在巴塞爾體育場上拿著照相機的人而言,對他的第一印象可是...感覺他是克羅埃西亞很久以來,一位足以被人期待的球員出現了.當天對阿根廷的比賽中,隊上守備之要的ロベルト・コバチ因為受傷而未上場,所以原來後腰的Igor Tudor下撤到後防線,而由Modric取其位置和ニコ・コバチ共同合組第三列,當天的陣式採用的是3-5-2. 在前腰位置上的是該國教練的兒子,Niko Kranjcar.

當天首次在國家隊上場的Modric,表現出跟他的外觀完全無法想像的強軔,鬥志,運動量也非常豐富.特別在他衝刺能力上,比起最近老被人批評在球場上不太跑動的Kranjcar,兩人的差距真的是一目瞭然. 對於Modric, Dinamo的球迷稱他為[克羅埃西亞的Nedved],另外長年在葡萄牙踢球的前斯洛伐克國家隊的國手ザホビッチ據說也稱他為[克羅埃西亞的Deco]

雖然大家的評語是如此,不過他絕對不是單純的後腰流汗型苦力的球員.他有寬廣的視野,卓越的傳球感覺,同時他左右腳都能踢得正,不管在中前衛或是後腰或是邊衛上,他都是一位可以十分有所發揮的全能型球員. 也因此在實際上,當地的球迷都主張...在國家隊的前腰上,不該用Kranjcar,而是該用Modric. 而他本人想要成為的目標選手,他也舉出博班和Totti的名字來.


 Luka Modric, 1985年9月9日生,20歲



Niko Kranjcar  --- 是國家隊教練的兒子.... 
是否今年也會像1998年義大利國家隊的Maldini父子檔那樣...吸引眾人的注意呢!
不過...同一個位置有眾人爭奪....就算是國家隊教練的兒子也不見得有戲唱吧...



.....說要簡單翻...沒想到一翻也是一大段了...後頭的還是等以後再看看吧....不過從以上就可以看出,這位作者對這位新星的看重,至於他會不會成為克羅埃西亞的明日之星...可以等到世界杯再來好好的研究.....

把原報導先隱藏起來...因為實在篇幅很長很長(還有這兩位明日之星的個人訪問)...眼不見為淨...才不會手癢又想動手....






クロアチア世論を二分する若き両雄 
Luka Modric  vs  Niko Kranjcar 

2006年03月24日 
  
■「クロアチアのネドベド」と呼ばれる男

 クロアチアの名門、ディナモ・ザグレブの練習場は、ザグレブの中心街からトラムで10数分くらい離れた郊外に建つ、マクシミール・スタジアムの裏手にある。
 西側資本による総合型アミューズメント施設がオープンするなど、このところ中心街の街並みは刻一刻と変ぼうを遂げているが、マクシミール周辺は今も旧ユーゴスラビア時代をほうふつとさせる「いかにも東欧的」な風情が残っていて、個人的には好きな場所だ。練習場のピッチは、折からの雪でぬかるんでいて、これまた「いかにも東欧的」。ディナモの選手たちは、青いジャージをドロだらけにして懸命にボールを追いかけている。

 私はカメラを構えながら、ひとりの若い選手にフォーカスしていた。タックルされたら吹き飛んでしまいそうな、どことなく頼りなさげな体格。アスリートというよりも、むしろアイドルタレントと見まごうばかりの大きな瞳。ダッシュするたびに激しく揺れる、豊かな金髪。まるで、一昔前の少女漫画に出てきそうなタイプの青年である。
 ルカ・モドリッチ、1985年9月9日生まれの20歳。元Uー21代表のキャプテンにして、ディナモのトップ下を担う10番。彼こそ、3月1日にスイスはバーゼルにて行われたクロアチア対アルゼンチンで鮮烈な代表デビューを果たした、今クロアチアで最も注目を集めているフットボーラーである。6月のドイツで、日本がクロアチアと対戦することが決まって以来、数多くの日本メディアがザグレブを訪れているが、代表キャップ数わずか「1」の若者に執心している物好きは、今のところ私くらいであろう。

 このモドリッチについては、今はまだ「ぽっと出の若手」というのが、日本での大方の認識であるのは仕方のない話ではある。が、実際にバーゼルのスタジアムでカメラを構えていた者としては、久々に期するものを感じさせる選手がクロアチアに現れたな、というのが第一印象であった。アルゼンチン戦では、守備の要であるロベルト・コバチがけがで欠場したため、ボランチのトゥドール(Igor Tudor)がディフェンスに下がり、代わってモドリッチがニコ・コバチと3列目でコンビを組んだ。この日のシステムは3-5-2。トップ下にいたのは、ズラトコ・クラニチャル監督の息子、ニコ・クラニチャルである。

 この日がデビューとなったモドリッチは、その外見からは想像もできないくらい、タフで、勝負強くて、運動量も豊富であった。特に走力については、最近あまり走らないことで批判を浴びているクラニチャルと比べると、その差は一目瞭然(いちもくりょうぜん)。そんな彼を、ディナモのサポーターたちは「クロアチアのネドベド」と呼び、また、長くポルトガルでプレーした元スロベニア代表のザホビッチも「クロアチアのデコ」と評したと伝えられる。
 とはいえモドリッチは、決して単なる「汗かき」ではない。広い視野と卓越したパスセンス、そして左右とも正確なキックを蹴れる彼は、トップ下でもボランチでもサイドでも十分に機能するユーティリティー・プレーヤーなのである。実際、ディナモのファンは「代表のトップ下は、クラニチャルではなく、モドリッチにするべし」と主張しており、本人も目指す選手として「ボバンとトッティ」の名を挙げている。

■クラニチャルとモドリッチは共存できる!

 そんなモドリッチに練習後、日本のメディアとして初めてインタビューすることができた(実際には、立ち話程度のやりとりではあるが)。

「アルゼンチン戦でのプレーには満足しているし、チャンスを与えて信用してくれた監督には心から感謝している。(試合前に監督から指示されたのは)中盤でつなぎ役に徹すること、そして臆せずプレーするように言われた。
(翌日のメディアの扱いについては)ここでは普通のことだけど、この状況に慣れる必要はあるね。これからもっといいプレーすれば、さらに扱いも大きくなるだろうし。本大会のメンバーに残れるかどうかは分からないけど、そうなることを願ってるよ。日本の印象? よいサッカーをするチームだ。中田(英)と中村の名前は知っている」

 時間にして10分もなかっただろうか。本人もあまりメディア慣れしていないらしく、言葉も少なめ。それでも、おごりたかぶるような素振りはつゆほど見せず、謙虚かつ誠実な態度で質問に答えくれた。いくら周囲が騒いでいても、決して自分を見失うことなく、また他人の視線を過剰に意識することなく、実に淡々としている姿が印象的である。
 ところで、アルゼンチン戦におけるモドリッチの起用は、ワールドカップ本大会でクロアチアと対戦する日本にとって、2つの意味で興味深いといえる。
 まず第一に、本大会直前になってクラニチャル監督が、息子のライバルとなり得るモドリッチをあえてテストしたという事実。実のところモドリッチは、年齢的に見て「ユーロ2008(欧州選手権)に向けた新鋭」と目されていた。それが、クラニチャルの強力なライバルとして、ここにきて大いに存在感をアピールしたのである。これはすなわち、クラニチャル監督が単なる「親バカ」でなかったことが証明された、といえるのではないか。

 それからもうひとつ、クラニチャルとモドリッチが併用され、ひとまず成功を収めたことについても言及しておきたい。実はこの2人、昨年のU-21欧州選手権予選のプレーオフ(対セルビア・モンテネグロ戦)で、一度だけ並び立ったことがある。この時は「ダブル司令塔」として横に並んだのだが、結果的には両者のポジションがかぶってしまい、思うように機能することなく、クロアチアは敗れてしまった。
 ところが今回のアルゼンチン戦では、クラニチャルがトップ下、モドリッチがボランチと、両者を縦に並べることで絶妙な補完関係が成立。若き両雄が共存できることを、アルゼンチン戦という最高の舞台で、クラニチャル監督は証明して見せたのである。
 こうしてみると、クロアチアの指揮官の眼力と度胸の良さには、敵ながら感服せずにはいられない。年齢や国際経験に関係なく、国内で結果を出している選手を積極的に登用する姿勢というものは、残念ながら今の日本代表には望むべくもないだろう。
 
■ニコ・クラニチャル、アルゼンチン戦について語る

 翌日、ザグレブから列車に揺られて、アドリア海沿岸の第2の都市・スプリトに向かった。目的はもちろん、当地の名門、ハイドゥク・スプリトでプレーするニコ・クラニチャルにインタビューするためである。クラニチャルといえば、これまでは監督である父との「親子鷹」という側面ばかりが日本のメディアで強調されてきた。だが私としては、このところ猛烈な追い上げを見せている1歳年下のモドリッチとの比較(あるいは共存)という観点から、どうしても彼に話を聞いてみたかったのである。

 クラニチャルについて語る時、絶対に外せないファクターがある。昨年1月に実現した、ディナモからハイドゥクへの電撃移籍だ。この移籍劇については、長い長いストーリーがあるのだが、ここでは以下の2点についてのみ、言及しておくにとどめる。すなわち、彼がやむにやまれぬ状況の中で悩み抜いた末に、最大のライバルチームへの移籍を決意したこと。そして、当然ながらディナモのサポーターからは「ユダ(裏切り者)」の烙印(らくいん)を押され、今なお憎悪に満ちたブーイングの対象となっていることである。

 クラブハウスでのマッサージを終えて、私の目の前に現れたクラニチャルは、黒尽くめのファッションで身を固めていた。身長185センチの長身、つややかな黒髪と長いまつ毛、そしてうっすらと伸びた口ひげ。古今の粗野で無骨なバルカン・フットボーラーのイメージとは180度異なる、まるでビジュアル系アーティストのような相貌(そうぼう)である。
 クラブハウスに隣接するカフェに腰を落ち着けると、クラニチャルは迷うことなくオレンジジュースとカプチーノをオーダーし、たっぷり注がれたクリームを幸せそうになめていた。やはり甘いものには目がないらしい。代表の中心選手として、この男が最も警戒すべきは、実はブラジルでも日本でもなく、太りやすい自身の体質であった。
 ともあれ私は、さっそく3月1日のアルゼンチン戦のことから尋ねてみた。

――バーゼルでのアルゼンチン戦の勝利、おめでとうございます。実は日本代表のジーコ監督も、あの試合を観戦していて「クロアチアで最も警戒すべきはプルショDado Prsoとクラニチャル Niko Kranjcar だ」と言っていたそうですが……

「ジーコがそう評価してくれたのは、正直うれしいね。彼は非常にサッカーを知っているし、偉大な選手でもあったから。ただ、あのアルゼンチン戦については、前半と後半でまったく違ったサッカーになってしまったね。まあ後半に関しては、本当に素晴らしい内容だったけど。自分のプレーに関していうと、特に悪くはなかったけれど、もっとよくできたとも思う。これからも、もっといいプレーができるように頑張りたい」

――チームとしての課題は何でしょうか

「われわれがやるべきことは、まずフィジカル面で最大限の準備をすることだと思う。アルゼンチン戦の後半のようなプレーを、試合全体を通して続けなければならないね。後半は修正できたけれど、やはり前半は停滞気味だった。どうポジショニングすればいいか、あるいはボールをいかにキープすればいいか、よく分からない状況だった。確かに、われわれのサッカーの知見は疑いのないものだと思う。ただし、本大会までに走力的な面で、本来のレベルまで戻す必要があるだろう。でも、まだ3カ月あるからね」

■「日本は今も危険なチームだと思う」

――さて、あの試合でのモドリッチとのコンビネーションについて教えてください。確か去年のセルビア・モンテネグロ戦でも、一度だけ彼と中盤でコンビを組みましたね。あの時と比べて、どうでしたか

「やはり違っていたね。アルゼンチン戦での彼は、いかにボールを前に運ぶかを考えてプレーしていた。もともとクオリティーの高いプレーヤーだったけど、あの試合でもチームに貢献できることを証明して見せた。そして、われわれはお互いが補完し合えることを示したと思う。(セルビア・モンテネグロ戦と違って)やっぱり縦に並んだ方が、お互いいいね。その方が断然、やりやすかった」

――そういえばアサノビッチ(元クロアチア代表、現U-21代表アシスタントコーチ)が「クラニチャルは私で、モドリッチはボバンに似ている」と言っていました。やっぱり2人はタイプが違うと思いますか

「(少し微笑んで)違うね。身長だって私の方が10センチ以上高いし、プレースタイルも違う。彼は小さいし、すばしっこい。まったく違うタイプだよ」

――そういえばクロアチアのメディアは、モドリッチと貴方を比較して「走らない」と批判していますね。この点について、ご自身ではどう思っていますか

「そう。いつも、いつも、こんな感じだよ(笑)。もちろん(走力については)、改めなければならない要素だとは思う。でも、メディアが書き立てるほど、深刻な問題でもないと思うよ。彼らが指摘している以上に、自分では走っているつもりだ」

――でも(ワールドカップで3位になった)98年の代表も、あまり走りませんでしたよね。クロアチアのサッカーは、この8年で変わってしまったのでしょうか

「今のチームはコレクティブ(集団的)。だけど98年のチームは、ファンタスティックな個人技で、状況を打開できるチームだった。あのチームの再来なんて、もうあり得ないよ。え? もう少し早く生まれたかったって? いや、今に生まれて良かったと思っている。むしろ今のチームで、あの時のチームのような成功を収めたい。今大会の目標は、まずグループリーグの突破。それができたら、可能な限り上を目指していきたいね」

――最後の質問です。98年当時、あなたは13歳だったと思いますが、あの大会はご覧になりましたか? あるいは日本戦のことは覚えていますか

「グループリーグの時は、国内でテレビ観戦していた。でも決勝トーナメントの試合は、父と一緒にスタジアムで見たよ。まだ子供だったけれど、あの時から代表になることを夢見ていた。やっとその夢が実現するんだ。あの大会の日本のことは、よく覚えているよ。わが代表にとって、非常に難しい試合だった。あのシューケルのゴールで、やっと勝てたっていう感じ。日本は非常に危険なチームだと思ったけど、それは今も変わらないんじゃないかな。この8年間で大きな進歩があっただろうし、非常に優秀な選手もいる。(本大会で対戦する時は)彼らが“本物”になることを、われわれは許すべきではないね」

■6月18日のクロアチア代表は予想不可能?

 実際に会ってみると、クラニチャルという男は「親の七光り」というイメージからはほど遠い、実にしんが強い気持ちのよい若者であった。内心ヒヤヒヤしながら「走らないこと」について質問しても、彼は嫌な顔ひとつせずに真摯(しんし)な態度で答えてくれた。
 何より印象的だったのが、日本人に対するリスペクトの念――といっても、日本代表に対してではなく、私を含めた日本のメディアに対して、である。これまで何人もの日本のメディアが、彼に同じような質問を投げかけてきたはずだ。にもかからわず、21歳の若者は、面倒な素振りも不遜(ふそん)な表情も見せず、本当に気持ちよく接してくれた。

「これは以前、本人から聞いた話なんですが……」
 と、通訳をしてくれた友人が、クラニチャルに関するこんな話を教えてくれた。
「彼は子供のころ、父親の仕事の都合でウィーンのアメリカン・スクールに通っていたんですね。そこでの一番の親友というのが、日本から来ていた少年だったそうです。ですから、彼の日本人に対する思いというのは、ほかのクロアチアの選手とは違うみたいです」

 なるほど。してみるとクラニチャルは、代表として初めて臨むワールドカップで日本と対戦することに、何かしら運命的なものを感じているのかもしれない。問題は今後3カ月、どれだけ彼がトップコンディションを取り戻すか、ということだ。2年前のユーロ04でも、大会直前でコンディションを崩してしまい、国際大会デビューのチャンスを逃している。そして今回は、1歳下のモドリッチが圧倒的なメディアの支持を追い風に、着々とその差を縮めつつあるのが気になるところだ。クロアチア代表の競争原理は、どこかの国と違って、おそろしく過酷かつダイナミックである。

 それにしても「クラニチャルか、モドリッチか」という、国内を二分する「トップ下論争」は、今後どのような決着を見るのだろうか。この論争は、ディナモとハイドゥクという2大クラブの対立、さらにはザグレブ(=中央)とスプリト(=ダルマチア地方)における南北問題を背景としており、その意味では実にクロアチア的であるといえよう。
 ここで興味深いのが、渦中の2人の出自。ハイドゥクに移籍したクラニチャルが生粋のザグレブっ子であるのに対し、モドリッチの出身地はザダール、すなわちダルマチア地方である。彼は16歳でディナモのユースに呼ばれ、その後、期限付き移籍で貸し出されたのちに昨シーズン、クラニチャルの後釜としてディナモのトップ下と10番を受け継ぐことになった。そうした因縁もあって、2人をめぐるメディアの論争とトップ下の座をめぐる競争、そしてクラニチャル監督の試行錯誤は、おそらく本大会直前まで続くことだろう。

 果たして、6月18日にわれわれが相対するクロアチアは、どんなチームになっているのだろうか。実際に現地で取材してみると、まだまだサプライズが起こりそうな気がしてならない。とりあえずはクラニチャルとモドリッチ、この2人の動向に要注目である。

宇都宮徹壱/Tetsuichi Utsunomiya
1966年福岡県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、欧州を中心に「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旧共産圏のうらぶれたスタジアムと、現地で飲む酒をこよなく愛する。著書、『幻のサッカー王国』『サポーター新世紀』(いずれも勁草書房)。近著に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)


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